反省でヒゲを剃るのは神様が始まり!?
「古事記」から今も残る風習まとめ

2020.03.10

お母さんが化粧する理由を考えたことはありますか? 化粧をすればキレイに見えるからと考えるかもしれませんが、実は1300年以上も前に書かれた『古事記』にそのヒントが隠されているのです。

天武天皇が奈良時代に部下に命じて作らせた”と社会の授業で習った人も多いでしょう。社会の授業では教えてもらえないが、今でも残っている日本人の価値観や習慣にまつわる『古事記』のエピソードを紹介したいと思います。

「古事記」とは日本の始まりについて書かれた歴史書

諸説あると考えられていますが、『古事記』は日本の国の始まりについて書かれた最古の歴史書とされています。『日本書紀』と合わせて「記紀」と呼ばれることもあります。“日本は天皇によって形成され発展していく”との考え「皇国史観(こうこくしかん)」が記紀では展開され、軍国主義だった日本の国家観を記紀は支えました。

1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の敗戦をもって皇国史観は教育現場から姿を消したため、あなたも馴染みはないかもしれません。私たち日本人の文化や風俗の源流になっている話も記紀には載っており、記紀の世界を勉強すれば日本人の価値観や倫理観への理解につながるのです。

恥ずかしいから、女性は化粧をする!?

たとえば女性がする化粧にまつわる話も登場します。日本の国や神々を産んだのは伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の二人の神とされていますが、最後の神を産んだあと妻である伊邪那美は死んでしまうのです。

旦那の伊邪那岐は、死者の世界「黄泉の国(よみのくに)」まで伊邪那美を連れ戻しにいきます。二人は再会でき、生者の世界「高天原(たかまがはら)」に戻る相談を黄泉の国の神にするから待つように伊邪那美は言いました。しかし待ち兼ねた伊邪那岐が辺りを照らして伊邪那美を探してしまいます。

すると、朽ち果てた姿の伊邪那美を見てしまうのです。「よくも女に恥をかかせたな」と伊邪那美は怒り、伊邪那岐は逃げ帰りました。この話から、素顔や自分が化粧をしている様子を見られるのは恥ずかしいとの価値観が生まれて、化粧の習慣ができたといわれています。

葬式帰りの塩で、穢れを清めている!?

逃げ帰った伊邪那岐は黄泉の国の穢れ(けがれ)によって体調を崩してしまいました。療養で訪れた先で、衣服を脱いで水に浸かって身を清めます。脱いだ服や、落としたアカからも新しい神々が生まれるのでした。

この話に由来する風習が「ミソギ(禊)」です。今でも悪さをはたらいた人が反省の意味をこめてミソギをするなどと言われますが、死にかかわって汚れてしまった体を水で洗い清める行為から元は生まれた風習なのです。

またお葬式から帰ったときに塩を体にかける風習を知っている人もいるのではないでしょうか。伊邪那岐が黄泉の国の穢れを清めるために海水を利用したとの考えがあり、そこから塩をまくようになったという説があるのです。

爪切りやヒゲ剃りの起源とされる「ハラエ」

黄泉の国の穢れを落とした際に伊邪那岐から新しく生まれた神にアマテラスとスサノオがいます。スサノオは、伊邪那岐の指示を聞かず怒られて高天原を追放されるのほどの乱暴者でした。

乱暴なスサノオが暴れたことでアマテラスの家来であった機織娘が事故死してしまいます。そんなスサノオに恐怖を感じたアマテラスは天岩屋(あまのいわや)に隠れました。すると、高天原は闇に包まれ災いが起こるようになってしまったのです。天岩屋からアマテラスをひっぱり出す話は「天岩屋伝説」として知っている人もいるかもしれません。

そんな災難の原因となったスサノオは改めて高天原を追放されることになったのですが、そのときにヒゲと手足の爪を切られたのです。これが「ハラエ(祓)」の起源といわれます。今ではミソギとハラエも同じような行為として考える人もいますが、起源になった話をきくと違いが分かったのではないでしょうか。

気になる人は本で自学をしてみよう

ヒゲ剃りや化粧など今でも残っている習慣のルーツが実は神様にあったと聞くと驚いた人もいるかもしれません。こういった勉強は高校の倫理の授業でも触れる機会はあるでしょう。日本人の文化や思想がどういったルーツをたどってきたのか、興味のある人は本などで自学してみてください。